ぶらり歩き

23. 成瀬から町田を歩く  町田フットバスガイドブック           平成23年2月19日

 14日のバレンタインデーは雪が降り、数センチの積雪となったが、その後は一転して春めいた暖かい陽射しが戻り、いわゆる三寒四温の冬と春のせめぎ合いの日々となってきた。
 
 今日は終日晴れと予報されており、午前中に歩く予定としていたが、なかなか期待した太陽が顔を出さず、漸く午後に陽が差し始める。昼食後、その陽射しに誘われれてウォーキングに出かける。JR横浜線の成瀬駅で下車して約8kmほどの道を町田駅まで歩いた。
 
 14時過ぎに成瀬駅南口を出て、横浜線の線路沿いの道を町田駅方向に向かって歩き出す。成瀬は北を流れる恩田川と南の境川に挟まれた河岸段丘に位置しており、ほぼ東西に走る横浜線の反対側は恩田川に向かって傾斜し、こちら側は南に向かって緩い登りとなっている。しばらく歩くと、住宅のはずれに松葉谷戸公園(写真1)がある。小高い丘を利用した公園かと思ったが、名前の谷戸(やと)のとおり丘陵地が侵食して形成された窪地であるために起伏をもった丘の地形に見えただけのようである。公園では、最近外遊びする姿を見ることが少なくなった男の子4名が何か興味を注ぐものを発見したものと見え、お互いに掛け合う甲高い声を響かせており、心楽しくなる。

 公園の出口前の道を右に歩くと、すぐに横浜線の線路にぶつかり行き止まりとなるが、この道の右側を、横浜線を突っ切って鎌倉道(写真2)が通っていたという。往時には、ここから恩田川に向かって下る広々とした田園風景が見通せたことと思う。東京朝鮮学校を右下に見て、住宅の道を歩くと、畑が所々に残る田園風景となる。従一位稲荷明神の赤い幟旗が立てられた小さな祠の稲荷神社が畑の中に祀られている。フットパスガイドブックには葉を繁らせた大銀杏2本の写真が掲載されているが、大きくなりすぎたのか、葉を落とした銀杏の幹は途中でカットされ、枝も剪定されている。畑は収穫を終えて次の植え付けを待ち平らに均されているが、そんな畑の中に葉を落としたと春を告げる黄色に咲いた菜の花が並んで植えられていた。

 この辺りは元々一面に畑が広がっていたのであろうが、畑の一部は新しく住宅地として区画され、ぽつぽつと戸建住宅が建てられている。
 ここまでは段丘上のほぼ平らな道であるが、町田街道を横切ると、今度は境川に向かって下り道となる。畑には住宅に取って代わられようとしているが、そんな畑の中の葉を落として枝だけとなった木に羽を休める2羽のヒヨドリが目に留まった。

 下り道は舗装されているが、昔は当たり前に見られたであろう切通し(写真3)の道となっている。

写真1 松葉谷戸公園 写真2 横浜線に突き当る鎌倉道 写真3 切通し道



 
 そんな切通しの一段高い場所に菅原道真を祭神とする金森天満宮(写真4)が建っている。拝殿は昭和62年(1987年)に修復造営され、脇には「こち吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春をわするな」という有名な菅原道真の和歌を刻んだ石碑が奉納されている。 金森天満宮が建つ金森天神山市民の森前の道路を越えると、境川の鶴金橋となる。昔、境川は蛇行していて周辺住民を苦しめる暴れ川として名を馳せており、鶴金橋の手前に曲がりくねった旧河道の窪地がその名残を現在に伝えている。境川は東京都と神奈川県の行政境界をなしているが、ここでは旧河道が境界のまま残り、鶴金橋の手前が神奈川県相模原市となっている。鶴金橋からすぐのところに、以前境川を歩いたときに立ち寄ったことがある泉龍寺(写真5)が建っている。
 
 泉龍寺から登り道を歩いていくと、おみやの坂と刻まれた石碑と庚申塔(写真5)が建つ、左右にうねった坂道の途中に長嶋神社が建っている。創建時期は定かではないようであるが、鎌倉道が近くを通ることもあり、鎌倉時代の創建という推定もあるようである。鳥居の右側に、全体に風化した庚申塔道祖神、不動明王像の上部が欠け落ちた大山不動と刻まれた石碑(写真6)が祀られており、この辺りが古くから往来があった土地であることがわかる。境内には中和田自治会会館の建物が建ち、神社の存在が自治会の奉仕によって共存共栄の関係にあることが窺がえる。 

写真4 金森天満宮 写真5 おみやの坂石碑と庚申塔   写真6 長嶋神社 石仏群




 再び、鶴金橋に戻り境川の左岸に沿って上流に歩き、途中で右折して都営アパートの周回道路を行く。新しく開発された道路の一本奥に並行して走る小道は昔からの道のようで、両側には大木が何本か残っている。ある家の庭の大木は大きくなりすぎたためか、根元から1.5mぐらいまでの幹を残して伐採されている。小道から自動車が往来する道に出て、天和3年(1683年)に旗本の高木伊勢守の下屋敷に奉斎されたことを始まりとする杉山神社を訪ねた。境内では外構の修繕工事が行われているが、鳥居を潜って左側に、庚申塔等の石仏(写真7)が祀られている。庚申塔3基道祖神1基地神塔1基等に交じって、日露戦争戦勝記念の艦砲模擬弾2基が奉納されている。このような模擬弾を見るのは、中山駅に近い中原街道沿いの長泉寺の境内に奉納されていた第二次世界大戦時の模擬弾を見て以来のことである。

 金森山市民の森のこじんまりした小高い丘を通って、渋池弁財天(写真8)に立ち寄り、隣の町田ひまわり幼稚園の脇を通ると、夕方だというのにお父さん同伴の大勢の幼稚園児が砂場等で歓声を上げて遊びに熱中している。父親参観日なのだろうか。

 夕方になり、少し冷えてきた道を急ぎ足で町田天満宮(写真9)に向かう。町田天満宮は天正年間(1573年〜1591年)に創建され、菅原神社、南大谷天神社とあわせて町田三天神の一社となっている。金森天満宮と同じく菅原道真を祭神とし、境内には牛の像2体が拝殿の右側に置かれている。境内には参拝する市民の姿が見られ、この地域の人々に崇拝されていることがわかる。

 成瀬駅から町田駅まで歩いて来たが、この辺りは畑も残り、昔からの道もその一部とはいえ保存されており、東京都とはいえ懐かしさを感じさせる土地柄という印象を受ける。 

写真7 杉山神社 石仏群 写真8 渋池弁財天   写真9 町田天満宮


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